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ボランティアに善意は必要か?


 はじめまして。

 バルタンです
とりあえずみんな書いているので、僕も何か書きます
携帯で絵文字が使えないので、絵文字は苦手です。そこのところはご容赦ください

 ボランティアのことについて書きます

 僕はボランティアという言葉のイメージの中にある「善意の活動」といったイメージがあまりしっくりときません。もちろん、ボランティアにはそういったものを含む場合もあると思います。けれども、それがないボランティアもあっていいと思います。

 例えば、途上国の学校が必要とされている地域に学校を作るという日本人のボランティア活動が行われたとします。これは、一見「善意の活動」というイメージにぴったりのように見えます。途上国のその地域に学校を作れば、子どもたちが勉強できるスペースを作ることができるからです。

 しかし、そのような「善意の活動」という枠でこの活動をくくることは、まだ早いです。ここで、2つの条件を加えてみましょう。
 ①そのボランティアをしている人たちは、ただ純粋に学校を建設したかっただけだった(そんな人がいるかどうかは知りませんが)。
 ②その人たちは、その地域に学校が必要だったことなどそれほど考えていなかった。
 つまり、その人たちはその地域で学校を作ることが禁止されていないので、自分たちが学校を作りたいから学校を作ったとしたらどうでしょうか?
  
 それは、ボランティアにはならないでしょうか?その人たちは、善いことをするために活動をしていたわけではありません。けれども、僕はそれは立派なボランティアだと思います。なぜなら、ボランティ活動と呼ばれるものが善意から成り立っていなければならないとは、僕は思わないからです。
 
 誰かが何かをやりたいと感じて、それを行動に移したとします。それがたまたまその活動地域の問題を解決していたとします。それは、まぎれもなくボランティアだと僕は思います。そこに活動者の善意というものは必ずしも必要ではないと僕は思います。

 結論として、「ボランティアに善意は必ずしも必要ではないのではないか」というのが僕の意見です。

 長々とすみませんでした少々乱暴な論を展開してしまい反省しています
また、自分だけ空気の読めない文章を書いていないかと激しく心配です。
  
 最後に、ひとつカムパネルラへお願いですが、LoRo SHIPのアドレスhttp://www.loroship.org/をこのブログとリンクさせて下さいよろしくお願いします
  
 それでは、失礼します
  
  バルタン
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コメント

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私も同感です。
私は子どもと遊ぶことが楽しくて、海外行ったりしました。
「えらいね」「すごいね」と言われましたが、私の中に「いいことをしよう」という意識はあまりなく「自分がやりたいこと、自分にとって楽しいことをやった、結果的にそれがボランティアだった」という感覚でした。
ボランティアをやろうと思ってやることももちろん素晴らしいですが、何よりも自分が楽しめて、それが結果的に他の人(もの)のためになる、ということが私の理想のボランティアです。

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